みなさん、努力って恥ずかしいですか?
この問いにイエスと答える人はおそらく、10代後半、20代前半あるいわ後半の方が多いと思います。
かつての私もそうでした。
努力したという事実が非常に恥ずかしくて、どこか悔しかったのです。
自信過剰だった私は、努力しなくてもある程度ならいける!!
そう思い込んで生きてきたのです。実際なんとかなってしまったことも少なくないです(笑)
努力を認めたくない。そもそも努力するのはカッコ悪い、そうおもっていました。
今考えれば、相当バカな野郎でした。
ですが、30代を過ぎ、年を重ねていくうちに、努力がカッコ悪いとは思わなくなりました。
むしろ、胸を張って努力したと言えるようになったのです。
資格試験に合格した時、周りからはたくさん勉強した?努力したんでしょ?
なんて、聞かれることもあります。
私は「はい。努力しました。」
と答えるようにしています。
以前は、「あんまり勉強しないで合格しました」と言っていました。
その方が、かっこいいからです。
確かにこのパターンはかっこいいです。
努力せずに合格した。これは、最小限の力で合格できているので最も理想的と言えるでしょう。そして、地頭が良いってことにもなります。
では、このパターンはどうでしょうか?
試験に落ちた時に、「勉強しなくても、半分は得点できた」なんて言ってしまうパターンです。
はっきり言って、かなりカッコ悪いです。
正直、若い時はこういうパターンもありました。
今考えれば、かなり恥ずかしいことです。
なぜならば、自分は努力しないで、自己管理もできずに合格できなかったって言っているですから。
勉強しないでもある程度点数が取れたという、潜在能力のみにスポットを当てれば、それは大したもんだってなるかもしれません。
しかし、実際は試験には落ちている、ましてや時間があったのにかかわらず全く勉強していない。
これを公言しているとなると、自ら自分の評価を下げているだけです。
実際、こういう若い人は多いです。
こういう人を見ると、非常に勿体ないと感じます。
かつての私もそうでしたが、ちゃんとやれよ!!って言いたくなります。
そして、こういう人が努力した時の伸びしろって、果てしないものだと思います。
だから非常にもったいないのです。
これを読んで、あぁ自分にも当てはまるという人は、努力は恥ずかしいと思うのはやめましょう。
努力こそ、素晴らしく誇らしいものなんです。
努力を恥じだと思わなくなった時、人を成長します。